株式会社 全京都ハウジング
株式会社 全京都ハウジング

住まいのサポート体制充実

全京都ハウジング具では、「住まいの夢応援します」を合言葉に今まで土地や住宅、店舗などの売買仲介、分譲住宅販売賃貸住宅の斡旋、各種ご相談業務などに取り組んでまいりました。
さて、この度、住まいのサポート体制を一層充実させるため、「住まいのリフォーム」・「住まいの新築・建替え」などの建築工事部門を強化させていただくことになりました。
どうぞ宜しくお願いいたします。

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この土地っていくらなの?

お家を建てよう!! このあたりの土地は今いくらぐらいかしら?どんな風に土地の値段って決まるのかなあ?土地や家を買うことは日常生活の買物と違い、一生に一、二度あるかないくらいですね。
さて、どんな風に地価って決まるのでしょうか?
日本ではすべての土地が誰かの所有になっています。土地を商品として考えた時、この商品は極めた特性を持っています。
それは、「この世に二つとして同じものは存在せず、作れず、移動もできない。」ということです。また「これほど単純に特定できるものはない」ということもできます。 4月初旬、役所から届く納税通知書に「固定資産税評価額」と書かれた項目を目にし、ニュースで「公示価格」の発表があったとか、「路線価」はいくら・・・という言葉も耳にします。 これらの目的は?
また、何でこれだけ沢山の地価評価があるのでしょうか?

不動産鑑定士という専門家がする鑑定方法としては「原価法」「取引事例企画法」「収益還元法」をミックスして、鑑定します。では、不動産広告で見かける販売価格。これはどうやって決まるのでしょうか?
上記4までを参考に不動産業者が価格を提示する際には、査定といいます。これが上記の時価相場といわれるものです。また、不動産の売買の現場においては、売り手と買い手との関係があり、相互の事情により価格変動が生じる事が普通です。
地価は、更地の状態の価格ですが、地価と建物付きの不動産の価格はさまざまな要因でまた違ってくるのです。なんだか難しいですね。

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住まい考【2】 / 内と外・・・空間

私たちがテレビや外国映画、又は旅行などで目にする欧米やアジアの街や家々、なんだか日本の家と違いがありそうです。これは、いったい何かと考えてみると「塀」のあるなしのようです。勿論、塀があるほうは日本。西欧では、個人の家、お城、教会、大邸宅などで塀はほとんど見られません。(都市国家で町全体を外敵から守る城壁は古代から中世まであったが)
塀があって、玄関で靴を脱ぐ日本人の生活は、家の捉え方が他の国々の人ととても違います。
つまり、塀の中の空間は外界から遮断された「うち」の世界。家族という親密な間柄の中で裸の自分を開放し、苦楽を共にしようとします。その反対に家の中が外から見えることや家に他人を入れることは、あまり歓迎しない性分です。(引きこもり的国民性かな?)

外国では家の中も外の延長上で、靴を脱ぐのはベッドの中だけという生活です。「うち」の捉え方は、個室(自分の部屋)であり、その部屋を出ればいわば家族でも「そと」の世界になり、社交の場として捉えています。極端に言うと家庭のダイニングも店のレストランも個に対しては、外になるのです。そして、広場や公園でくつろいだり、カフェの前、歩道に椅子を出してお茶を飲んだりなど、町全体を有効に社交の場として使い、それゆえ色や高さ、造りなど街全体の統一感を大切にします。(西欧の世界歴史都市遺産アルベロベッロやローデンブルグを写真を見るとそうですね。また、ベトナムでは家の前にいすを出してご飯を食べている人をあちこちで見かけた。)

日本人は、塀の中の自分の家は、非常に綺麗にしようとしますが、家から一歩でたら外の家や道に関心を持たなかったのです。(京の町並み・・・京都の町家では塀がなく外とうちの空間、近隣との付き合いなどうまく醸生させた。門履き、水まき、植木の手入れ、子供の遊びなど。)
現在、日本も都市計画法や条例により、(屋外広告物、まちづくり憲章、高度制限、建造物修景、風致、美観・歴史的風土保存など)都市や街の景観を考えています。
日本と欧米の住まいの捉え方は、風土、気候の違いからきただけでなく、個と集団、家族への認識など国民性がまったく違うということですね。

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たけのこ 筍 / bamboo shoot

暖かい日差し、爽やかな風、そしてたっぷりの休日。待ちに待ったゴールデンウィークです。新緑の中、筍掘り、野草摘み、山菜取りに出かけるのは如何でしょうか?
自然の中で、食材を採り、食べる事は身も心も豊かになりますね。
ところで、最も春らしい野菜といえば、筍ではないでしょうか?ちょっと苦味のあるシャッリとした味は、旬の日本料理にはかかせない食材です。
昔から「筍掘るなら、お湯を沸かしておけ」といわれるくらい鮮度が命です。皮につやがあり、産毛のそろった、切り口のみずみずしいものを選びましょう。

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福ふくおもひでアルバム/ 福本 多香子(ふくもと たかこ)

先日のエキスポランドの大きな事故。ジェットコースターの類は私も結構好きだったので、ショックでした。事故を起こした「風神雷神」を私も10年位前に最前列で乗った経験があります。私はこれらに乗るときは、いつも変な事をつい考えました。「乗っている最中に車輪が外れたらどうなるんやろ」とか「途中でスピードダウンして一番高いところで止まったらどうしよう」とか。だったら乗るのを止めればいいのに、怖いもの見たさというのか、スリルを求めてしまうのですね、これが!頑張って並んでまで乗車する人達も、考えている事はだいたい一緒だろうと思います。でも、私は一度ほんとに怖い経験をしているんです。


小学校の3・4年生のころやったと思います。家族と遊園地へ行きました。それが何処の遊園地だったのか不思議にも思い出せません。八瀬遊園でもなく、紅葉パラダイスでもなく、ひらパーでもなく、なんせ小粒な遊園地でした。ですからジェットコースターも、今言われている「絶叫マシーン」ではなく、見るからにつまらない比較的「なだらか系」のものでした。列に並ぶ必要もなく、乗っている人もわずかでした。乗り込むやいなや出発のベルが鳴り、動き出しました。ところが大変!私はベルトの締め方が分からない!最近のように肩から体を抑えてくれる様なレバーではなく、飛行機に乗ったときに締めるシートベルトと同じ仕組みのものでしたが、見たのが初めてで、扱い方がわからなかったのです。係りのおじさんに大声を出す勇気がなく、ベルトを持ってあれこれ試しながら「どうなってんのこれ!どうしょ!どうしょ!」焦って、焦って半泣きでした。コースターはゆっくり、ゆっくり「一番高い位置」へと登っていきます。心臓がトントンし、顔がこわばり、手には汗がにじみ、真後ろにカップルのお兄さんお姉さんが乗っていましたが、聞く勇気がなく、身体は固まってしまいました。


子供なりの知恵を精一杯働かせて考えたことは、「左右のベルトどおしを、丸結びでくくり付けること」か「ベルトを手にできるだけ巻き付けて、乗り物に潜り込んで、手すりやどこかにつかまり、足をつっかえ棒代わりに必死で我慢すること」くらいでした。頂点が目前に迫ってきました。全然解決しません。私は「こうなったら、ベルトどおしをくくりつけよう」と思って左右のベルトを近づけたその時???なんのはずみか、偶然か、天の助けかよくわかりませんが、「カチャッ」と音がしてベルトがつながってくれたのです。「やった!」間一髪のところでした。でも喜んだのも束の間、コースターは下へ向かって一気に滑り降りていきました。しかもベルトはゆるゆる状態のままだったので、私の体はカーブするたびに大きく左へズルッ!大きく右へズルッ!と移動し、降下のときは体が座席から、ひゅわーんと離れて宙に浮き、前方に着いている握り棒に、しがみつきました。私がどんな格好になっていたかは、ご想像にお任せします(笑)。とにかくひどい格好です。

頭の中は「何でもいい、はよ着いて」の一点だけ。無事に到着したものの、相当疲れていました。「なだらか系」で良かったと思いました。もっと「急勾配のきつい系」だったら、と思うとゾッと」します。「私がジョットコースターの係りになったら、絶対に見回るねん!腹立つおっちゃんや!後ろのお兄ちゃんらも腹立つ!人が困ってるの見えてるやろう!あんな大人には絶対ならん!」私自身のあかんたれを棚に上げ、係りのおじさんや後部座席のカップルには相当な怒りを感じていました(笑)。


親はのんきにも娘がそんな恐怖を味わっていた事も知らず、「楽しかった?」と聞いてきました。私は「うん」と一言だけ答えてしまいました。事情を話せば、あれこれ面倒なことになりそうな気がしたからです。今ならきちんと言うのでしょうが、なんせ当時私は、「内弁慶のあかんたれ」だったもので(笑)。今もなごりは残っていますが(笑)。


あの時の「カチャッ」がなければ、私も新聞に載っていたかもしれません。遠い昔の事なのに、当時の心の状況は今でも鮮明です。身体に刻み込まれているみたいです。夢まで見ましたから。そしてぎりぎりの所で助かったことを、今でも不思議に思っています。目に見えない誰かが助けて下さった?なーんてことあるわけないか!でも、心のどこかで何かに感謝している私です。


今回の事故は、遊具点検の不備がいわれていますが、基本的な原則を守るだけでも、事故は随分防げます。私が乗ったコースターも。「ベルトの確認後に遊具を動かす」ことが、たぶん規則にあったと思うのです。エキスポランドへの責任は、今書く方面から問われています。後悔しても、しきれないだろうと思います。友達と楽しみにして行った遊園地。きっと亡くなった女の子も私と同じような気持ちで、怖いけどワクワクしながら乗ったでしょうに。その気持ちを思うと胸がぎゅっときます。命拾いされた方々も私のように生涯忘れることのできない事故でしょう。私程度の経験でも怖い記憶です。ましてや今回は、誠に忌まわしい記憶をして心に残る大きな傷だろうと思います。なんとか立ち直ってくださることを、心から願っています。では、また次回まで。

  
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